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ここでは、管理人NELが日々の生活の中で思うことや、綺麗だな〜素敵だな〜と思うものについて語ります。

 2006年 10月11日 秋の実

うちから図書館まで歩く間に、こんなに色々な植物の実を見ることができます。
どれも、ただの街路樹。気をつけていなければ見過ごしてしまうかも。でも植物は道ゆく市民が気付こうが気付くまいが関係なく、黙々と葉を広げてひっそり咲いてこっそり実をつける。そんな木たちが好きです。

こないだの連休、東京は明治座で上演中の『黒革の手帖』を観にいってきました。
ご報告は掲示板に書かせていただきましたが、まだ細々と思い出すことや、思い巡らすことがあります。いずれ「手箱」にまとめる時にでも、書き足すことができればと思います。

ドラマ版の『黒革』とは結末が違う。というよりも、世界観が違うというか「何が大事なのか」が違っているような気がしました。
テレビドラマでは主人公の元子さんはどこまでも強く、負けない。流産しても立ち直り、失ったお金もまた手に入れ、銀座のママに返り咲いて自分をハメた男達を再び客に迎えるふてぶてしさ。
それがカッコよかったし好きだったという人も多かったのではないでしょうか。
今回の舞台では、元子さんは独り去ってゆく。
愛した男も、最愛の店カルネも、仕事仲間も失い。唯一心休まる場所だったおでん屋「だるま」の席も、親しかった先輩(りかさん演じる叡子ママ)との絆も切り捨てて。
私はじつは、こっちのほうが好きなんですね〜。
(もうひとつの結末((原作))は最悪で思い出したくもないくらいなのでこの際おいといて)

2幕の終わりで、落ちぶれた楢林医師とバッタリ会い「君を殴らせてくれ」と言われて頬を差し出す元子さん。殴られて笑い「私は叩かれれば叩かれるほど、強くなれるんです」と言う。
……この人わ……今まで(ホステスになる以前に)よっぽど酷く傷付くような事があったんだろうなあ…としか思えません。
自分の傷から逃れられないのは弱いからです。私はその弱さに共感せずにはいられません。
弱いから、怖いから、痛いのいやだから、全身鎧にして人を攻撃するんです。
その心理はすごくよくわかります。
傷付きながらも優しさを失わないとしたらそれは、よほど強い人です。たぶん叡子さんは強い人なんです。

何が「善」なのか「悪」なのかも、一概には決められない。決めつけてしまったら何かが違う。
元子は本当に「悪」か?彼女にしてみれば、他人がズルして溜めたお金を横から頂いただけ。そして手に入れたいものを手にいれただけ。
楢林や橋田は悪か?よくわかんないけどああいう世界での所得隠しなんて「皆やっている→自分もやっていい→むしろやった方が良い」になるんじゃないだろうか。
波子は?彼女だって彼女なりに欲しいものを手に入れようとしただけだ。
でも何かがおかしい。「誰も悪くない」なんて筈はないのだ。誰も悪くないなら誰も傷付かない。
いろんな角度からこの舞台を観て…見えてくるのは「それまであった秩序を乱す者は、悪者」というひとつの流れ。
古き良き銀座に乱入した元子は悪といえばそうでしょう。
なんとか上手く行ってた「カルネ」で叛旗を翻した波子も悪でしょう。
そして、楢林クリニックだけならまだしも、銀行と総会屋と土地持ちの「上手くいってる関係」に触れてしまった時に、元子という独りの女性は逆襲を受けて食われた。
ある意味、一番怖いのは「大人の秩序」なのかもしれない。
エピソードはフィクションだけど、構図はリアル社会そのもので、やりきれないお話ですな。

連ドラで見てるときは、こんな風に深読みしたり、自分と繋げて考えたりすることはありませんでした。
やはり「テレビは想像の余地を与えてくれない」というのは本当なのかもしれない〜。
その点やはり舞台は面白いですねえ。いくらでも想像を巡らすことができます。

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すごい久しぶりに、楽屋出のりかさん。>

黒の長袖タートルネックのカットソー(薄いニット?)に、白と黒の大柄のスカート(だと思う)でした。足首まであるマキシ。ドレッシー。靴は黒のエナメルハイヒール(だったと思う)。
サングラスをかけて出ていらしたのですが、ファンからの手紙を受け取る間は、このように目と目を合わせてくださいます。

なんか…「ああ、りかさん本当にここに生きて居るんだなあ」とか思ってしまいました^^;

だってなんか…ここしばらく凄く離れていたんですよ私。物理的にも気持的にも。たとえばテレビに出るとわかっていてもチョッと時間がズレたらもう見れない、今どこにいるか情報としては知っていても本当にどこで何をしているのかはさっぱりわからない、という茫然とした状態がずーっと続いていたのです。
また京都に戻って来た今、やっぱり茫然としています。

でも一つだけ歴然としているのは、私は紫吹淳さんをすごく根の深いところで愛しているということです。