ここでは、管理人NELが日々の生活の中で思うことや、綺麗だな〜素敵だな〜と思うものについて語ります。

 2006年 9月18日 姫女苑

昨日また長崎に被害をもたらした台風が今日は日本海を通過中。ここ京都では朝から強い風が吹き、しかし太陽は強い光で空気を照らしています。夏のおわり、秋のはじめ。

前回の日記から1ヶ月以上たってしまった…。
この夏やったことといえば
映画は『ゲド戦記』と『パイレーツオブカリビアン』。ゲド戦記は原作者を含めえらく不評のようですが、私は正直なにがそんなに悪いのかよくわからないです(原作は映画の後に読んだけれども、あの長い長い禅問答のような小説を上手く映画化したなあと思います)。パイレーツは、あいかわらず素敵なジョニー・ディップのお姿にウキウキ、古典的なモンスターたちのリアルな描写にゾクゾクしましたけれど(正直、巨大タコが見たくて行った!)、それら全てが商品そのものなディズニー臭がちょっと鼻についてしまって、終わった後「私としたことがツマランものを見てしまった」という気にさせられました。残念。

あと、鬱病の診断をもらって会社を休んでいるという弟を誘って、琵琶湖に行きました。
船に乗って島に渡ったり、早朝の湖辺で水に足をつっこんだり、水生植物園や博物館を見てきました。

そしてそこで拾った水草を持ち帰り、花瓶に入れて育てはじめました。
ついでに魚と淡水エビを飼いはじめました。
それとは別に水槽に砂利と岩を入れて草を植え、アクアテラリウムを作りました。
パキラとドラセナとガジュマルの苗も買いました。

そうやって空や水や猫や植物や小動物とばかり向き合ってると、とても幸せな気持になって、自分が人間だということを忘れてしまいます。
いやこれではイカン、自分自身が人間なのだし、人間の中でしか生きていけないのはわかりきってるのだからもっと人間というものを愛さなくてはいかん、と思い直しはするのですが、どうしてもその気になれません。
大自然が作るものに比べて、人間の作る物はどうしようもなく不格好でみみっちくて…醜い。どうでもいい。必要無い。人間が認識できる世界なんて物凄く狭いのに、人間は何でも出来るように思ってるなんてちゃんちゃら可笑しい。
そんな風にしか感じることができないのです。

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紫吹淳さんは、人間でありながら、人では有り得ないような美しさをもち、人では作り得ないような世界を私に見せてくれる人でした。ひとことで言えばそれは「奇跡」で、本当の意味での芸術です。

先日の『窯変源氏物語』やテレビの『ダンス選手権』を私が見なかったのは全く失敗だったかもしれません。
でもいいです、紫吹淳さんが私の求める美を産み出し続けてくれる人なら、いずれ必ずまた見ることになるはずです。

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最近は、時間があるので図書館に行くようにしています。
ル・グゥィンを読み、ミヒャエル・エンデを読み、そのインタビューを読み、いろんな画集や宗教の手引書も読んでいます。そこに人間を好きになれる手がかりがないかしらと思うからです。

 2006年 9月29日 秋桜

さわやかな秋晴れが続いています。
空がきれい。透明な水色にサーッと薄いヴェールのような雲がかかる朝方の空もいいし、昼中のまっさおな空に白い雲もいいし、夕暮れのオレンジや紫の混じった色彩ときたらもう最高です。
自然のつくる「きれいなもの」の中でも、私が飛び抜けて素晴らしいと思うのが『空』です。
それはいつも私達の頭上にあって、いつでも見る事ができる芸術品。同じカンバスに「同じ絵」は二度と描かれる事がないのです。ぱっと見て「わあ綺麗」と思っても、数時間後にはそれは消えて別の「綺麗」が空を覆っている。すごい。人間技ではない(あたりまえだ)。永遠の万華鏡。
けれど、空を見るたびに「なんて凄いんだ〜」と心で叫んでる私はやっぱり「変な人」なんでしょうねえ。

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『美しい国ニッポン』
最近よく聞く言葉。先日あたらしく総理大臣になった阿部さんのお言葉です。
私は政治経済の事はよくわからない(ていうか全くわからない!と言っていいと思う)のですが、それでも、まえの小泉さんの政策はキツいと思ったなあ…
よく笑い話で「健康の為なら死んでも良い!」とか「地球を破壊してでも地球を守る!」などといいますが、ちょっと前の改革は「国の為なら国民はどうなっても良い!」みたいで凄い政治だなあと思って過ごしておりました。(←わからん者が漠然とそう感じたというだけの事なのでつっこまないで下さい;;)でもその結果、景気が持ち直した(?本当か?)という事なら、やっぱり社会ってそういうふうに出来てるんだなあ、小泉さんは凄い頭が良い人だなあと納得するしかございません。

で阿部さんのスローガン「美しいニッポン」ですが、美しいのは結構なことです^^/
ただ、どーゆー意味で「美しい」というのか、それをどう目指すのかよくわかりません;
とりあえず私が思うのは「これ以上余計なモノを作らないでほしい」というか…
「美しくしよう」とか思わない方がいいんじゃないか?というか…
日本はもともと美しいし、いまも充分美しいのです。

綺麗なもの、良いものは身近にいくらでもあります。
まずそういう所に目を向けて「ああ綺麗だなあ」と認めるところから始めれば問題ない。
そうして見ていけば、次第に「これは要らんな」「こうしたらもっと綺麗かな」とか解ってくるし、何を大事にしたらいいかも解ってくるのじゃないだろうか。
そういう審美眼(モノに対してだけでなく、人の行動や交流の在り方についても)や価値観がしっかりしていない状態で、やみくもに「美しい国」なんて目指したってロクなものは出来ゃしない。と私は思います。